シティ・フィールド(ニューヨーク・メッツ本拠地)の観戦方法を紹介
更新日:2024/10/04
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ニューヨーク・メッツの本拠地“シティ・フィールド(Citi Field)”とは
ニューヨーク市クイーンズ区に位置する“シティ・フィールド“は、MLBニューヨーク・メッツの本拠地です。また野球観戦だけでなく、様々な体験ができるエンターテインメント性の高いボールパークとして、ニューヨークの新名所となっています。2009年に完成したこの球場は、1930年代当初のノスタルジックな雰囲気を感じさせる外観が目を引き、球場正面にあるニューヨーク・メッツの名物「ホームラン・アップル(りんごのオブジェ)」が訪れる人々を出迎えます。広々としたエントランスに足を踏み入れると地元の人気レストランが20店舗以上も並び、所々にヘルメット型のゴミ箱が設置されているなど、野球ファンを楽しませる要素が溢れています。ここではシティ・フィールドの歴史、観戦方法や魅力をはじめ、ホーム球団ニューヨーク・メッツの歴史や伝説の選手達についても併せて紹介します。
公式ウェブサイト:Citi Field
1960年代:創設背景と初期の挑戦
ニューヨーク・メッツの歴史を振り返ると、創設時から都市と野球の深い繋がりを象徴していることが分かります。このチームは、1962年に行われたメジャーリーグベースボールの拡張に伴い誕生しました。球団名は1880年代に存在していたプロ野球チーム”ニューヨーク・メトロポリタンズ(意味:都会人)”の略称”メッツ”を引き継ぎ、都市の魅力と地域への帰属意識を反映しています。
1957年に”ニューヨーク・ジャイアンツ”と”ブルックリン・ドジャース”がカリフォルニア州へ移転したことで、ニューヨーク市内の野球ファンは当時大きな空虚感を抱えていました。この空白を埋めるためにメッツが設立され、チームカラーにはドジャースの青と、ジャイアンツのオレンジ・黒が採用されています。またチームロゴのNYマークも、かつてジャイアンツが使用していたものを引き継ぎました。
初代監督には元ヤンキースの監督”ケーシー・ステンゲル”が就任しますが、初期のメッツは成績面で非常に苦しい時期を経験することとなります。それを象徴するように初シーズンは40勝120敗というメジャーリーグ史上最低の成績と評されるほどの結果でした。しかしこの苦しい挑戦の時期はチームとファンの間に特別な絆を構築し、「Lovable Losers(愛すべき敗者たち)」という愛称でより一層ファンに愛される球団へ成長します。
1969年の “ミラクルメッツ”と呼ばれる快進撃は、チーム史上特に印象的な出来事です。ナショナルリーグを制覇しワールドシリーズで”ボルチモア・オリオールズ”を破り初めて世界一に輝いたこの年は、メッツファンだけでなくすべての野球ファンにとって忘れられない瞬間となりました。創設からわずか7年で成し遂げたワールドシリーズ制覇は、メッツがお荷物球団ではなく勝利を目指し努力できるチームであることを世界に示しました。この初期の挑戦は、メッツが成功の道を築く上で非常に重要な役割を果たしたと言えます。
1970年代:成熟の時代
1970年代は、ニューヨーク・メッツにとって重要な時期となります。この時期に新設チームの域からメジャーリーグの実力派チームへと成長を遂げ、アメリカ野球界において確固たる地位を確立していきました。
この時期に在籍し輝かしい成績を残した選手達は、トム・シーバー、ジェリー・クーズマン、クレオン・ジョーンズです。彼らの顕著な才能と情熱はメッツを成功へ導いた要因のひとつとなりました。またこの時代にマネージャーだったユーディ・ハロルドソンをはじめとするコーチ陣は、選手たちの技術面と精神面を成長させることに成功します。
特にナショナルリーグを制覇した1973年は、メッツにとって重要な年と言えるでしょう。彼らは攻撃的かつ緻密なプレイスタイルで逆境に立ち向かい、限界を超える精神力を見せて常に相手にプレッシャーを与える戦い方を繰り広げました。
この時代からメッツは、その後数十年にわたるチームの文化とアイデンティティを形成しています。これは試合に勝利した数以上の成功を得たことを意味し、ニューヨーク市及び周辺地域の野球コミュニティにおいて、メッツがいかに重要な存在であるかを示しました。
1980年代:黄金時代の到来
1980年代はニューヨーク・メッツの黄金時期と言えます。この時期はドワイト・グッデンとダリル・ストロベリーという才能溢れる2人の選手がチームを先導し、メッツの野球史において重要な役割を果たしました。
グッデンは圧倒的な速球と鋭いドロップカーブ(縦カーブ)を武器に、1984年にわずか19歳でメジャーリーグにデビューします。彼の加入はメッツの投手陣に新風を吹き込み、チームの勝利に大きく貢献しました。またストロベリーは長打力とフィールド上の存在感でチームを牽引し、打線の中心選手として活躍しています。
特筆すべきは1986年のワールドシリーズ勝利です。グッデンとストロベリーの活躍により、メッツはボストン・レッドソックスを破り優勝を飾ります。特にドラマチックだったシリーズ第6戦の見事な逆転勝利は、スポーツ史上最も印象深い瞬間のひとつとして今も語り継がれています。この重要な勝利はメッツの選手・関係者だけでなく、ニューヨーク市全体に喜びと誇りをもたらしました。
その後もチームは多くの勝利を収め、プレーオフ進出も果たします。この時代の成功は、選手たちの才能と努力をはじめ強力なマネジメントと優秀なコーチングスタッフ、そしてチームワークが生み出した成果と言えるでしょう。
1990年代と2000年代:挑戦の時代
1990年代に入ると、ニューヨーク・メッツは多くの試練に直面します。1991年から6年連続で負け越し、1993年には26年ぶりに負け数が100を上回りました。しかし、かつての栄光から一転して低迷期に突入したことが新たな挑戦への転換期となります。チームは若手選手の発掘と育成に尽力し、長期的な再建を目指し動き始めました。1997年にはファンの支えもあり7年ぶりに勝ち越し、チームは徐々に力を取り戻し始めていきます。
2000年にメッツはワイルドカード枠でプレーオフに進出、”サブウェイ・シリーズ”への出場を果たします。これはニューヨーク同市内のライバルチーム、ヤンキースとの間で繰り広げられた歴史的なワールドシリーズでした。このシリーズはメッツにとって重要なマイルストーン(節目)であり、長い間苦境にあったチームが再び大舞台に立ったことを意味しています。しかし結果的にはヤンキースに敗れ、栄光を掴むには至りませんでした。
21世紀到来と共にチームは大きな変化を迎え、新たなマネジメントと戦略の下、再び勝利を目指して前進していきます。新世紀初頭には若手選手の台頭とベテラン勢の安定したパフォーマンスが組み合わさり、メッツは新たな方向性を見出しました。この時期はメッツにおいて過去の栄光を受け継ぎつつ、未来への一歩を踏み出す過程として重要な章となります。
現代:再建と将来への挑戦
現代のメッツは若く才能豊かな選手たちで構成されています。特に足の速さと強打を兼ね備えたピート・アロンソや、メッツ生え抜きのジェフ・マクニールが注目選手です。彼らは今後チームの攻撃力を支え、新たな歴史を刻む新世代の選手として期待されています。
また2022年に5年契約を結んだ千賀滉大選手も注目を集めています。2023年のシーズン開幕戦では、マイアミ・マーリンズとの対戦でMLB公式戦初登板・初先発を果たし見事初勝利を挙げました。同年7月にはマーカス・ストローマンの辞退に伴いオールスターゲームに初選出されるという快挙を成し遂げ、メッツの新人としては5人目のオールスター選手となっています。このシーズンは29試合に登板し、12勝7敗、防御率2.98、202奪三振を記録。新人王投票で2位、最優秀投手に贈られるサイ・ヤング賞投票で7位にランクインするなど要注目の選手です。
近年のメッツは、安定した強さを維持しながらもプレーオフ進出やリーグ優勝までは届いていません。しかしチームは着実に実力を高め、ワールドシリーズ制覇を目指している最中です。メッツの未来は期待に満ちており、新しい黄金時代の到来が予想されています。勝利の積み重ねだけでなく、ファンや地域社会との絆を深めることも大切にしながらチーム再建を図る事で、メッツは野球チーム以上の存在としてニューヨークのシンボルのような役割を担っていくでしょう。
伝説的な選手
ニューヨーク・メッツの歴史には、伝説的な選手達の名前が刻まれています。これらの選手は単に記録を樹立しただけでなく、所属チームとメッツファンにとって特別な存在となっています。その中でも特に印象的な二人の選手を紹介します。
トム・シーバー
「フランチャイズ」または「トム・トリフィック」の愛称で親しまれ、1967年から1977年にかけてメッツの象徴として人気を博した選手です。デビュー年の1967年には新人王に輝き、1969年に成し遂げたワールドシリーズ制覇ではチームの勝利に大きく貢献し、初のサイ・ヤング賞も受賞しています。1970年代には最多奪三振という最優秀防御率のタイトルも獲得しました。彼のピッチングはメッツ史上においても特筆すべきもので、1988年には背番号である41番がメッツの永久欠番に指定されています。また本拠地であるシティ・フィールドには彼の名を冠したゲートや銅像が設置されており、彼に対する特別な敬意を現在も感じることができます。
マイク・ピアッツァ
1998年から2005年までメッツの核として活躍した選手です。2000年にはチームをナショナルリーグ優勝へ導き、同年ワールドシリーズ出場を果たします。彼の強力なバッティングは”ケージから出たモンスター”と称され、人気と実力を兼ね備え多くのファンを魅了しました。
特に印象深いのは、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件により、全試合が中止となった期間を経て再開された試合でのピアッツァが放った特大逆転2ラン。この一打はニューヨーカーのみならず全米の人々に勇気を与えました。彼がその時に着用していたユニフォームは、2016年に開催されたオークションで記録的な価格で落札され、国立9月11日記念館・博物館(ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアム)やシティ・フィールド内に展示されています。この偉大な選手の背番号である31番も、メッツの永久欠番に指定されています。
シティ・フィールド:メッツとファンの新たな時代
2009年、ニューヨーク市クイーンズに建設された本拠地シティ・フィールドの開場は、メッツにとって新たな時代の始まりを告げました。老朽化していた”シェイ・スタジアム”の後を継いだこの球場は、かつてニューヨークにあったブルックリン・ドジャース(現:ロサンゼルス・ドジャース)の本拠地”エベッツ・フィールド”を模したデザインとなっています。
収容人数45,000席をも有するシティ・フィールドは、クラシカルな外観と観客に親切な環境設備で知られています。周辺の緑豊かな環境と広々としたコンコースは訪れる人々に特別な体験を提供し、反対側には毎年全米オープンテニスが開催されるUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターがあります。さらに、飲食店やファン向けのアクティビティが充実しているため試合観戦だけでなく球場内の時間も存分に楽しむことができ、新たな魅力が詰まっている球場へと変化しました。
この球場はメッツのオフシーズンに限り、カレッジフットボールの試合会場として使用されています。スポーツ施設の役割に留まらず、地元コミュニティと密接な関係を築いているのもこの球団の特徴です。ニューヨーク・メッツは球場と共に地域との連携を大切にし、様々なイベントやチャリティ活動に積極的に関わっています。
シティ・フィールドの試合観戦ガイド
球場で繰り広げられるメッツの試合観戦は忘れられない思い出となるでしょう。ここではメッツの試合を存分に楽しむため、チケットの購入方法やシティ・フィールドまでのアクセスを紹介します。
シティ・フィールドのチケット購入方法
メッツの試合チケットは、以下の手順によりオンラインで簡単に購入が可能です。
- 公式ウェブサイトへアクセス
- 希望の試合を選択
- 必要なチケット枚数を選ぶ
- 予算に応じた価格帯を設定
- セクションや席を選び、”OK”をクリック
- カートに入れて支払いを済ませる
※スタジアム入場時にはチケットの提示が必要です。また、MLBのレギュラーシーズンは、3月下旬(4月前半)から9月末(10月初旬)までとなります。シーズンオフ中は基本的に試合が行われていないので、試合観戦が主な目的の方は、事前に公式ウェブサイトを確認しておきましょう。
シティ・フィールドへのアクセス
シティ・フィールドへのアクセスは、ニューヨークの中心地から公共交通機関を利用したルートが便利です。メトロ7番線を利用し、“メッツ-ウィレッツ・ポイント(Mets-Willets Point)“駅で下車すると球場が目の前にあります。なお試合開始前は混雑が予想されるため、早めに向かうことをおすすめします。
シティ・フィールドスタジアムツアー
この球場はオフシーズン中に“スタジアムツアー”を開催しています。通常の試合観戦では入ることができない報道席や、選手たちが使うバッティングケージ、ラウンジルーム、ベンチとグランド、ブルペンや記者会見場など、球場の裏側を巡ることができます。道中は専属ツアーガイドの詳しい解説を聞き写真を撮りながら見て回れるため、野球ファンにはたまらない贅沢な時間となるでしょう。
また、”アメイジング・アーティファクト・ツアー”という1週間に1,2度開催されている特別なツアーもあります。参加者全員が「マイク・ピアッツァが試合で使用したバット」など、メッツに関連する歴史的なグッズを手に取って写真撮影をすることが可能です。スタジアムを訪れた際は、ここでしか味わえない体験に参加してみましょう。
ツアー予約方法
ツアーの予約は公式ウェブサイトから簡単に行うことができます。
- ツアーの種類を選択
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