ハワイの歴史を分かりやすく解説 歴代の国王とおすすめ観光スポットも紹介
更新日:2024/10/09
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日本人にも大人気の旅行先、常夏の島ハワイ。ビーチでのマリンアクティビティや大型ショッピングモールでの買い物など、魅力が盛りだくさんです。そのほかにも、ハワイの歴史を感じられるスポット巡りもおすすめ。この記事では、ハワイ王国の歴史と8人の歴代国王について分かりやすく解説し、ハワイの歴史的スポットも併せて紹介しています。ハワイの時代背景や日本との関わりを知ることで、ハワイ観光がより興味深いものとなるでしょう。
ハワイ王国(ハワイ王朝)成立以前の歴史
ハワイの歴史は約1,500年前まで遡ります。ハワイ王国誕生以前、当時は無人島だったハワイ諸島にマルケサス諸島のポリネシア人が上陸したのが起源です。彼らは星の明かりだけを頼りに、約3,200km以上の距離を航海して辿り着いたと言われています。約500年後にはタヒチから多くの人々が移住し、彼らの持ち込んだ神や半神半人の思想が古代ハワイアン信仰の基盤となり、カプ(禁忌・タブー)による厳格な社会階層が誕生します。さらに、1778年にイギリスの海洋探検家“ジェームズ・クック(通称:キャプテン・クック)”が上陸したことで、古代ハワイアンの社会的構造は大きく変化していきました。
キャプテン・クック渡来の影響
カウアイ島・ワイメア湾に上陸した“キャプテン・クック”は、海軍大臣の名前である“サンドイッチ伯爵”にちなんで諸島を“サンドイッチ諸島”と名付けました。彼の渡来がきっかけで、ハワイ諸島には西洋の武器や技術、知恵が伝わります。この頃に持ち込まれた西洋の武器は、後にハワイ諸島を統一した“カメハメハ大王”の勢力を高めることとなります。
その後、キャプテン・クックは物々交換などで先住民と友好的な関係を築きますが、上陸から約1年後にはトラブルにより、ハワイ島のケアラケクア湾で殺害されてしまいました。なお、西洋人の渡来により疫病が蔓延し、島民は50万人から7万人にまで減少したと言われています。
ハワイ王国の歴史と8人の王
ハワイ王国は独立国家として繁栄し、歴代8人の王が国を治めました。彼らは造船や馬、牛など新たな家畜の導入、英語教育、サトウキビ産業の繁栄に伴う移民の受け入れなど、現在のハワイ諸島を形作るさまざまな文化のルーツを築き上げていきます。
ハワイ王国の歴代の王一覧
1代目:カメハメハ1世(カメハメハ大王)
2代目:カメハメハ2世(リホリホ)
3代目:カメハメハ3世(カウイケアオウリ)
4代目:カメハメハ4世(アレキサンダーリホリホ)
5代目:カメハメハ5世(ロット・カプアイヴァ)
6代目:ウイリアム・チャールズ・ルナリロ
7代目:デイヴィッド・カラカウア
8代目:リリウオカラニ
ハワイ王国の誕生とカメハメハ大王
キャプテン・クックが到来した頃、ハワイ島を支配していたのは首長の“カラニオプウ”でした。その甥にあたるのが、後に初代国王となるノースコハラで生まれた(※諸説あり)カメハメハです。カラニオプウの死後、カメハメハはイギリスの軍事援助により勢力を増大させ、1791年にハワイ島を制圧しました。続けてマウイ島の“イアオ渓谷”、オアフ島の“ヌウアヌパリ”を制し、1795年にハワイ王国の建国を宣言します。その後、1810年には全ハワイ諸島を支配下に収めました。
カメハメハ王朝時代の始まり(2代目~3代目)
カメハメハ1世の長男である“リホリホ”は、1世の死後2週間で2代目国王となります。彼は、カメハメハ1世が定めた“カプ(男女が食事を共にすることを禁じた社会規範)”制度を廃止し、後に来島するキリスト宣教師と共にキリスト教を広めた人物としても有名です。
カメハメハ2世(リホリホ)は20代の若さで亡くなり、その死を受けて弟の“カウイケアオウリ”は10代で国王に就任します。その後、カメハメハ3世として約30年間在位していました(ハワイ王国最長の在位記録)。彼が統治していた時代は、特に捕鯨産業が盛んに行われ経済が発展します。しかし、船員として捕鯨船に乗り込んだ古代ハワイアンは、荒波などで帰還できず多くの人が亡くなりました。さらに、疫病とゴールドラッシュによる移住で人口減少に拍車をかけます。
こうした課題の中でも、カメハメハ3世は宗教の自由化や憲法の制定、ハワイの首都(マウイ島ラハイナ)をオアフ島ホノルルに遷都し国の近代化を進めていきました。
サトウキビ産業の拡大(4代目~5代目)
カメハメハ1世の孫で、3世の甥にあたる“カメハメハ4世(アレキサンダーリホリホ)”は、1855年に王位を継承します。幼い頃にカメハメハ3世の後継者に指名され養子として過ごし、ホノルルの王宮学校でプロテスタントの宣教師から教育を受けました。その後彼は、アメリカ他州やヨーロッパを訪れさまざまな言語を学び、ヨーロッパの社会規範の習得に努めます。この頃には捕鯨産業が衰退し、3世の時代から始まったサトウキビ産業が拡大していきました。
1863年にカメハメハ4世(アレキサンダーリホリホ)の兄、“カメハメハ5世(ロット・カプアイヴァ)”が王に即位しました。彼が統治した時代に、第一産業が捕鯨産業からサトウキビ産業へと移行します。しかし、労働力不足が問題となり1864年に移民局を創設。砂糖にかかる関税をなくすため、アメリカとの互恵条約を推進しますが締結には至りませんでした。この頃、アメリカ西海岸とハワイを結ぶ蒸気船が定期的に運航し、人々の往来が活発になります。
選挙による初の国王が誕生(6代目)
カメハメハ1世の姪“アウヘア・ケカウルオヒ”の息子、“ウイリアム・チャールズ・ルナリロ”が国王選挙(国民による投票)で6代目国王に選ばれます。なお、カメハメハ5世が後継者を指名せずに他界したため、カメハメハ直系の王は5代目で終わりを迎えました。民主的な思考の持ち主だった6代目ルナリロ王は国民から「民衆の王」と敬愛され、アメリカ人を官僚に採用するなどの政策を実行しましたが、若くして肺結核を患い他界します。在位期間は、わずか1年1か月でした。
カラカウア王朝時代(7代目)
6代目ルナリロ王は後継者を指名せずに崩御したため、1874年の選挙により“カラカウア”(カメハメハ1世の父方の末裔)”が7代目国王に選出されます。彼が即位した後の1882年に建設されたイオラニ宮殿は、王国が崩壊する1893年まで君主たちの公邸として使用されました。カラカウア王は積極的にアメリカとの外交を行い、先代の時代に叶わなかった互恵条約を締結させました。それに伴い砂糖が無関税で輸出可能となり、サトウキビ産業はさらに繁栄していきます。またカラカウア王は、移民の受け入れにも力を入れ明治天皇に日本人の移民を要請。1885年には官約移民が開始され、多くの日本人がサトウキビのプランテーションでの労働のためハワイへ移住したと言われています。
その後、カラカウア王は妹の“リリウオカラニ”を後継者に指名し、1891年に崩御します。なお、彼は約54年間禁じられていたハワイの文化“フラ”を復活させた国王としても有名です。
ハワイ王国の衰退と王国初の女王(8代目)
兄のカラカウアが亡くなった後を継いだのが、ハワイ王国で唯一の女王となった“リリウオカラニ”です。1891年から1893年までの約2年間に在位した彼女は、ハワイ王国を存続するために尽力したことで知られています。
リリウオカラニが王の座に就いた頃、ハワイでは西欧人を中心とした経済界と先住民の対立が激しくなっていました。土地を奪われると危惧したサトウキビ農園の所有者らが親米派に属したことで、アメリカ併合が推進しリリウオカラニ女王は退位を迫られます。
ハワイ共和国時代とハワイ併合
1894年には、ハワイの人々の反対を押し切りハワイ共和国の誕生が宣言されました。翌年の1895年、王政復古を求める王政派が蜂起するも共和国政府によって鎮圧されます。さらに、リリウオカラニの私邸から銃器が見つかったことで女王は反乱首謀者として逮捕されてしまいました。その後、反乱で捕まった約200人の人質と引き換えに女王廃位を強制され、ハワイ王国は滅亡します。
しかし1898年に、ハワイ共和国はアメリカに併合されます。その後、マッキンリー大統領が併合法案に署名したことで、1900年正式にハワイ準州となりました。それから59年後の1959年、アメリカ50番目の州としてハワイ州が成立します。
ハワイ王国と日本の関係
現在は人気の旅行先となっているハワイですが、上述の通り日本とハワイは昔から強い繋がりがありました。ハワイ王国では、1835年から開始したサトウキビ栽培の需要が高まっていましたが、感染症などにより当時のハワイ住民の人口は大幅に減少していたため労働力の確保が必要でした。そこで1852年、中国を筆頭に日本、ミクロネシア、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スペイン、プエルトリコ、朝鮮半島などから移民の受け入れを開始します。
また、1867年に日本とハワイ王国は“日布親善協定”を締結し、翌年には“元年者”と呼ばれた第1号移民団(153名)がハワイへ渡りました。なお、7代目カラカウア王が訪日した際に明治天皇へ移民の受け入れを申し出たことで、1885年には“官約移民”制度が承認されさらに多くの日本人がハワイへ渡ることとなります。
その後1924年までの間に約22万人がハワイ王国に移住し、1920年にはハワイ全体で日系人が占める割合は42.7%にまで上りした。そのほかの国と比較しても日本人移民が最多だったと言われています。その多くが日系アメリカ人として子孫を残し現在に至っています。
ハワイ王国にまつわる歴史的スポット5選
ハワイには王族によって造られたいくつかの歴史的スポットが現在も残っています。ここでは、その中でもおすすめの5か所を紹介します。
イオラニ宮殿/Iolani Palace
“イオラニ宮殿”はカラカウア王(7代目国王)によって1882年に建てられた公邸です。創建当時の最新技術である水洗トイレや温冷シャワー、さらにはホワイトハウスより先に電灯が設置されたこの公邸は、正にハワイ王国栄華の象徴と言えるでしょう。またヨーロッパ建築様式で大広間にはコア製の階段が広がり、ハワイ歴代の国王の肖像画や世界中から贈られた調度品も展示されています。現在ではハワイの文化と歴史、ネイティブハワイアンへの理解を深めることを目的に宮殿内が一般公開され、ドーセント(専門ガイド)によるガイドツアーも行われています。設立当初から寄付金による補修工事や、世界中から収集された宮殿家具が展示されているので、リリウオカラニ女王が幽閉された部屋など当時の様子が垣間見られます。なお、日本語のガイドが案内するツアーにも参加できるため、ハワイを深く知れる貴重な体験となるでしょう。
日本語で参加できるツアー
ロイヤル・コネクション・トゥ・ジャパン・ツアー
料金:大人(13歳以上)$77.95、子供(5歳~12歳)$51.95
開催時間:午後3時45分~午後5時15分(水曜日)
所要時間:45分
※そのほかのガイドツアーは公式ウェブサイトよりご確認ください。
入場料:無料 ※ツアーにより料金は異なります
営業時間:午前9時~午後4時(火~土曜日)
休館日:日・月曜日、祝日
公式ウェブサイト:Iolani Palace
カメハメハ大王像/King Kamehameha Statue
カメハメハ大王像はハワイ島に2か所、オアフ島に1か所建てられています。ハワイ島・カパアウにあるのが1作目、オアフ島・ホノルルが2作目、そしてハワイ島・ヒロにある3作目が最新に設置されたものです。この銅像はカラカウア大王本人ではなく、副官やマウイ島長も務めた王族の一人、“ロバート・ホアピリ・ベイカー”がモデルとなっています。1作目はイタリア・フィレンツェで制作されましたが、輸送する際に沈没してしまいました。1883年に代わりとして作り直された2作目がホノルルに飾られています。なお、1作目の銅像は後日引き上げられハワイ島・カパアウに設置されており、そのほかにもワシントンD.C.のキャピタルビルにはホノルルの大王像のレプリカが展示されています。
カメハメハ大王像は7代目カラカウア王の在位中に、キャプテン・クックによるハワイ諸島発見の100周年を記念して造られました。また、銅像の正面には「何人もその平和を理由なく侵されるべきではない。安全な生活を営む権利、自衛権がある」という、大王が残したハワイ初の人権保護法の言葉が刻まれています。
所在地:
ハワイ島・カパアウ(1作目)/Akoni Pule Hwy, Kapaau, HI 96755
オアフ島・ホノルル(2作目)/447 S King St, Honolulu, HI 96813
ハワイ島・ヒロ(3作目)/774 Kamehameha Ave, Hilo, HI 96720
入場料:無料
営業時間:24時間
定休日:なし
公式ウェブサイト:King Kamehameha Statue
カピオラニ公園/Kapiolani Park
ワイキキの東端に位置する“カピオラニ公園”には、広い芝生や遊歩道、テニスコート、ピクニックテーブル、トイレなどが完備されており、連日多くの人が訪れています。ワイキキビーチすぐのロケーションにあるため、目の前には壮大なダイヤモンドヘッドの景色が広がっており、パワースポットとしても有名です。カピオラニ公園は1887年にカラカウア王によって設立され、公園の名前はカラカウア王の妻、カピオラニ女王に由来しています。カラカウア王は、精製前の砂糖を無税でアメリカに輸出する代わりに、パールハーバーなどの土地を米国海軍に譲り“互恵条約”を締結させた人物です。条約のために訪れたワシントンD.C.やサンフランシスコ、シカゴなどで初めて公園を目にし“ハワイにも都市の近くに広い空間を作るべき”という発想から、建設に取り掛かりました。公園は1877年に完成し、当初はビーチ沿いに建設された豪邸などの住宅地を含んでおり、遊歩道や競馬場も造られています。
完成当初は敷地内にある家の所有者しか利用できませんでしたが、ハワイ王国終焉後の1896年以降から一般市民にも開放されます。現在は競馬のレーストラックなどが撤収され、設立当時に自生していたオーストラリア産アイアンウッドを植樹して造られた並木道が残っています。また、カピオラニ公園は歴史登録財に登録されており、ハワイの歴史と共に成長したモンキーポッドやシャワーツリーなどが木陰を作り、訪れる人々に憩いの場を提供しています。
入場料:無料
営業時間:午前5時~午前0時(月~日曜日)
定休日:なし
公式ウェブサイト:Kapiolani Park
カワイアハオ教会/Kawaiahao Church
ホノルル・ダウンタウンにあるオアフ島最古の教会“カワイアハオ教会”は、カメハメハ大王が死去した翌年(1820年)に設立されました。また、1962年には国定歴史建造物に登録されています。教会内の礼拝堂は火事などで過去に4回倒壊し、1842年のカメハメハ3世の時代に現在ある礼拝堂が完成しました。昔、教会のそばには王族だけが沐浴をできる泉があり、その泉に「ハオ」という王女が頻繁に通っていたため、教会は“ハオ王女の聖なる水”を意味する“カワイハオ”と名付けられました。なお教会のそばでは、当時の泉が再現された“カワイハオの泉”と呼ばれる噴水や、カイウラニ王女(カラカウア王の姪)の邸宅から寄付された鉄製のベンチを見学できます。カワイハオ教会は珊瑚で造られた建物であるため、別名「海からせり上がった教会」とも呼ばれています。建設当時はコンクリートがない時代だったため、人々が斧で海から切り出した1万4,000個もの珊瑚を集めて造ったそうです。教会の前には実際に使用されたサンゴの塊が飾られ、当時の大変さを物語っています。この教会は現在もハワイの人々にとって信仰の場として利用され、毎週日曜日にはハワイ語と英語で礼拝が行われている貴重な場所です。
入場料:無料
営業時間:午前8時30分~午後4時(月~金曜日)
休館日:土・日曜日
※毎週日曜日にのみ午前9時30分から礼拝が行われています。
公式ウェブサイト:Kawaiahao Church
ビショップ・ミュージアム/Bishop Museum
ハワイ最大の博物館“ビショップ・ミュージアム”は、ハワイと太平洋地域の歴史や文化を伝える重要な史跡としても知られています。カメハメハ王家直系の子孫である“バニース・パウアヒ王女”の亡き後、夫の“チャールズ・リード・ビショップ”氏により1889年に設立されました。ハワイの美術工芸品やカメハメハ王家の家宝を収蔵するために造られ、ポリネシア全域の文化や歴史に関する写真、文献を含む2,500万点を超えるコレクションが展示されています。設立当初は“ビショップ・ホール”として“カメハメハ・スクール”の敷地内に建てられ、1960年代に移転した後も拡張を重ね現在に至ります。なお当時の建物であるビショップ・ホールは現在も敷地内に残されているので、訪れた際には見学してみましょう。館内のハワイアンホールでは、ガイドがいる場合に限り日本語ガイドツアーに無料で参加できます。通常は月~土曜日の午前10時半と午前11時半に開催(午後の場合は不定期で週2回程度)されており、日にちによっては利用できない場合もあるため事前に確認が必要です。
ハワイアンホール館内の日本語ガイドツアー
料金:無料
開催時間:午前10:30分~/午前11:30分~/午後1時30分~(月~土曜日)
所要時間:約30分
※午後の時間帯は週2階程度の開催となります。
※ガイドがいる場合に限り開催されます。
入場料:大人$33.95/青少年(4~17歳)$25.95/シニア(65歳以上)$30.95/子供(4歳以下)と会員は無料
営業時間:午前9時~午後5時(月~日曜日)
休館日:クリスマス、感謝祭(11月の第4木曜日)
公式ウェブサイト:Bishop Museum